部屋の片隅

学生生活まとめ

社会人となった今、学生生活を振り返ってみます。
私との付き合いが長い方は、やけに学生期間が長いと思われたのではないでしょうか。
それもそのはず、私は高専に通っていたからです。
5年制になっているので、中学を卒業してからずっと5年間通い続けました。
昔は読み物で思いっきり暴露していましたが、個人情報とか怖いので隠しました・・・。
社会人になりましたので、一つの区切りということで、ここで振り返ります。

1年生から順に、簡単ではありますが思い出してみます。

1年生

何故か勉強せずに合格でき、この学校に入学する事となりました。
中学の時の最終成績とかは、決して良かった訳ではなく、良くて真ん中くらいだった覚えがあります。
中学卒業したばかりのガキでした。
この学校がどういう所かまだ分かっていません。
・・・これから待ち受ける試練は数多くあるのでした。

私が入ることとなった学科は電気と情報系の学科でした。
しかしながら、1年生では専門的な事にはあまり入らず、数学や国語など、高校生と同じような感じで学生生活は進みました。
初めての試験とかでは、早速洗礼を浴びたのですが・・・、物理が100点満点中15点とか(汗
あんなん分かる訳ねぇ。今でもきっと分からん。
「君たちは頭が良いからねぇ!」とか言って、勝手に進みまくるのは非常に頂けません。
初めての試験の順位は、下から10番以内という・・・。

ちなみにクラスの人数は45人くらいいたような気がします。
しかし学年が上がるにつれ、人数は着実に減っていくのでした。

初めての試験で洗礼を浴びた自分。
自分の頭の出来が悪いと悟り、ちょっとずつ勉強をしてみたような、してみなかったような。
何だかんだで単位を落とす事はなく、無傷で進級を果たす事ができました。

あと、バスケ部に入部したんですよね。
頑張って毎日練習に行った記憶があります。
夏休みとか1年生なのに、全部員の中で唯一休んでないっていう。
クソ真面目に練習に出続けた事が、後々自分を苦しめる事になるとは、この時は知りませんでした。

2年生

2年生は若干専門科目が増えただけで、実質1年生の延長のようなものでした。
2年生も結局無傷で終えることができたのですが、化学だけが未だかつてないほど危なかったです。
評価点で60点未満は単位が無いのですが、丁度60点でクリア。
嬉しいというより、怖かったです・・・。

バスケ関係では、初の坊主を経験しました。
なんで坊主になったかというと、毎日真面目に練習に行き過ぎたせいで、キャプテンにさせられてしまったからです。
この辺りは語り出すとキリが無いのですが、毎日練習に行くのは当然でしょ・・・。
当然の事をしてキャプテンになるとは、なんともレベルの低いチームではないでしょうか。

そんな訳で、キャプテンということで坊主になりました。
で・・・、学校のトイレで断髪式を行ったのが不味かったのか、見事学校で問題に。
原因は他にもちょっとあるのですが割愛。
今では懐かしい思い出です。

キャプテンになったのは良いのですが、後輩含めバスケ部員のほとんどが不真面目でした。
真面目に続けるほど価値のあるバスケ部とは考えられなかったので、キャプテンでしたが退部させて頂きました。
辞めて1カ月後程してから、地元の社会人バスケのチームの練習に参加し始めました。
心に余裕ができ、少しずつ上手くなっていったような気がしたのでした。

3年生

この学年からは専門科目とそれ以外の科目が、半分半分になります。
つまり、専門的な分野に本格的に入っていく期間と考えて良いでしょう。

正直3年生の時の記憶が無いというか・・・、特に印象に残ったことがありません。
と思ったので、過去の日記を読み返してみたら、色々あったみたいで。

日記を読み返すと、基本的に勉強に苦しんでました。
夏休みの宿題とか、当然の如く登校日の9月1日にやってるし、本当どうかしてる。
社会人となった今では、そんな課題が出される事はありません。
自学自習が肝要ということでしょう。

今でも、あの時のガッツは残ってるんでしょうかね。
あの夏休み終了間際の追い込まれた状況から課題をやり始めるという・・・。
思い出せば思い出すほど、懐かしいものです。
そしてよく乗り切ったとも思います。

1,2年生の経験より、実は3年生からは成績は少しずつ良くなっていました。
1,2年生では結果的には単位は落としていませんが、中間の成績では赤点がいくつもありました。
しかし3年生では、初の中間での赤点無しを経験。
順位も真ん中より上くらいに位置するようになっていました。

バスケはそれなりに頑張っていたようです。
心に余裕をもってバスケをしていましたから、本当に楽しんでバスケをしていた期間だと思います。
部活の頃よりシュートの成功率が明らかに高くなったので笑えます。

4年生

4年生からは、全体の7割くらいが専門科目となります。
この頃から成績も、昔と比べるとだいぶ安心できるようにはなってきました。
まず単位を落とすという不安感がありませんでした。
進級に至るまでに欠点科目があることはありましたが、最終的にはやはり単位は全部取っていました。
ですが、レポートだけは面倒だった記憶がありますね。
時間を掛ければそれなりのモノはできるのですが、面倒で面倒で・・・。
ですが何とか乗り切ったように思います。

さて、4年生になる前に春休みがあったのですが、この時に自動車学校で車の免許を取ったんですよね。
1カ月に満たない期間で免許を取るという急ぎっぷり。
AT限定もあってか、周りの誰よりも早く取ったように思います。
免許を取っても、あまり車は運転しませんが・・・。
ちなみにこの時、後々AT限定で免許を取得したのを後悔することになるとは思っても居ませんでした。

ちなみに自動車学校で彼女を作ってきたのも覚えていますが、まさかこちらも最速でお別れするとは。
しかし、今でも時たま連絡は取り合っています。
親友という立ち位置で彼女を応援させて頂いております。

夏休みはインターンシップがあり、福岡に行っていました。
2週間にも及ぶインターンシップだったのですが、なかなか良い刺激になりました。
そこで知り合った方とは、今でも連絡をたまに取っていたり・・・。

春休みも夏休みも、大部分を何かに潰されたように思いますが、どちらも有意義に過ごせたのかもしれませんね。

あと、5年生からの卒業研究に備えてお試しで研究室に入る期間が設けてあり、唯一の情報系の研究室に入りました。
自分がやりたかった研究は、勿論HTMLなどWebに関係するものでした。
趣味だけではなく、学校でもそういった知識に触れたので、より一層Webに関する知識を深める事ができたと考えています。

5年生

5年生からの記憶はかなり鮮明です。
教室というものが無くなり、朝学校に来ると、まず研究室に寄るのが普通になります。
1年生から4年生までの生活とは一変します。

5年生になって早速やってくる一大イベントがあります。
そうです、就職活動です。
5年生になる前の春休みに、学校で企業説明会が開かれていたりしました。
そこで色々な企業の説明を聴いたりして、自分に合っている所を考えたりしましたね。

結局自分が最初に受けた企業は、誰もが知っている大企業。
結果、大惨敗
いや、もうね、あれは酷かった。
3対1でのあのプレッシャー。思い出しただけでも怖いですが・・・。
しかしその時の面接を反省し、次の企業の面接に活かした事で、無事内定を貰う事ができました。
実は前の企業のグループ会社だったりしますが、そこに入社したのはここだけの話。

この頃は、既に就職氷河期とか言われていましたね。
他と比べると就職には滅法強いはずのうちの学校も影響を受けまくって、自分のように落ちまくる人続出。
人によっては4社連続落ちておりました。
ちなみにそいつの成績は、トップ付近だったので、成績が重要ではないという事が分かりますね。

ちなみに学校推薦で就職活動をしているので、1つの企業を受けている間は、他の企業を受けれないのが難点ですね。
人によっては何週間も企業側から連絡が来ず、次の行動に移れない人がいました。
結局そこの企業から内々定を貰えたようなので良かったのですが・・・。

とにかく、就職活動はなかなか精神的に堪えましたが、学ぶ事が多い期間でした。
結局就職先が見つからなかったり、志望校に受からなかったりする人も出ました。
そういう人達も今は、別の進路に進み頑張っているようです。

5年生は就職活動も大きなイベントですが、やはり年間通して卒業研究というのが大きい活動でしたね。
1人で学校に泊ってパソコンに向かったり、中間発表の為に苦しんだり・・・。
思い出すとかなり懐かしいのですが、ホントよくやったと思います。

というか、中間発表の準備の時は凄まじかった。
研究室の隣の席に変わった奴がいたのですが、そいつがあまりの重労働に過呼吸起こして、資料を先生に作ってもらうという事態が発生。
最後の卒研発表も、苦労してたのではないでしょうか。
苦労していたのは皆同じでしたが、段違いで苦労してそうでしたが。

そんなこんなで、最後の卒研発表では最優秀賞を獲得。
図書カード1万円分を奪い取ってきました。
5年生は楽と聞いていたのですが、入る研究室によって大きく変わるようですね。
研究室によっては本当に何もやってない人とか普通にいました。
その研究室に本当に入りたかった人とかいたのに、迷惑極まりないのですが、今頃苦労してるんでしょうか。

バスケでも色々ありました。日記で書いたとおりです。
一瞬彼女ができるも、またもや異様なスピードでお別れすることに。
入社前なのに面白いことをしてくれました。
昔からおかしい人は、良い大人になっておかしいのでしょうか。

まとめ

という感じで、終わりは若干よろしくありませんが、高専でこういった5年間を過ごしました。
長かったような短かったような、そんな5年間でした。
高専の性質上、留年や退学をする人を多く見てきましたが、とても変わった学校でした。
同級生が留年しまくったり、先輩が後輩になったり・・・。

何だかんだで5年間は楽しかったのかもしれません。
5年間ともなると、本当に色々あるものですね。
物事に対する姿勢やら何やら、学校で学んだ事は多かった様に思います。

高専での生活を忘れず、今後の生活も頑張りたいです。